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愛を語るというタブー : ダンテとロマン主義の詩における言葉を語ることの意義
https://doi.org/10.34603/0000002511
https://doi.org/10.34603/0000002511ed7987e3-72e4-4b22-96bb-362e5268d6ea
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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公開日 | 2025-04-02 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 愛を語るというタブー : ダンテとロマン主義の詩における言葉を語ることの意義 | |||||
言語 | ja | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | アイ オ カタル ト イウ タブー : ダンテ ト ロマン シュギ ノ シ ニ オケル コトバ オ カタル コト ノ イギ | |||||
言語 | ja-Kana | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | The Taboo of Talking about Love : The Importance of Narrative Language in Dante and Romantic Poetry | |||||
言語 | en | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
ID登録 | ||||||
ID登録 | 10.34603/0000002511 | |||||
ID登録タイプ | JaLC | |||||
アクセス権 | ||||||
アクセス権 | open access | |||||
アクセス権URI | http://purl.org/coar/access_right/c_abf2 | |||||
著者 |
後藤, 美映
× 後藤, 美映 |
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抄録 | ||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||
内容記述 | ダンテ(Dante)の『神曲』(Divine Comedy)の地獄篇第5 歌には,アッシリア(Assyria)の女王セミラミス(Semiramis),カルタゴ(Carthage)の女王ディド(Dido),プトレマイオス朝最後の女王クレオパトラ(Cleopatra),スパルタ(Sparta)の王妃ヘレナ(Helen)らが,肉欲の罪で地獄に堕とされた者として,その名を列挙される。そして後半部には,『神曲』の中でも絶唱の一つとして有名なフランチェスカ(Francesca)とパオロ(Paolo)の不義の物語が挿入されており「愛は私ども二人を一つの死に導きました」と,フランチェスカの語りを通して歌われる(ダンテ,第5 歌106)。1 フランチェスカは,ランスロット(Lancelot)とグィニヴィア(Guinevere)の愛の物語をパオロと共に読み進めるうちに,その中世ロマンスに描かれた愛の誘惑の力に「負けた」と訴える(ダンテ,第5 歌132)。しかし,『神曲』では神学的解釈のもと,フランチェスカとパオロは不義を犯した罪で地獄の圏谷で断罪されており,二人の愛は,理性よりも欲望に囚われたとして,その罪を問われている。 このフランチェスカとパオロの逸話は,19 世紀初頭のロマン主義時代になると,リィ・ハント(LeighHunt),ジョン・キーツ(John Keats),ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron)らによって,宗教的倫理よりも人間の愛の情熱を謳歌する物語として,改作され,翻訳されることになる。イギリスにおけるダンテの受容の背景を繙けば,18 世紀後半まで『神曲』は,陰鬱な場面設定や,顕著な視覚的表現によってグロテスクとさえ評されたが,ロマン主義時代になると,その評価は頂点を迎えることになる(後藤,「感情の美学」 2-6)。特に『神曲』の地獄篇に熱狂したロマン派の詩人らによって,フランチェスカとパオロの不義の物語は,宗教的罪を断罪するためではなく,愛や人間精神の自由を奉じるために,いわば誤読され,語り直されるのである。本論考では,このようにフランチェスカとパオロの物語が,ハントの『リミニ物語』(The Story of Rimini),キーツのソネット「かつてヘルメスが軽やかに飛び立ったように」(“As Hermes once took to his feathers light”)における改作や,バイロンによる英訳において,不義という禁忌を解かれ,どのように語り直されるのかを考察する。そして,その改作や翻訳において使用される言葉を通して,詩人らが達成しようとした美学的,社会的改革の試みについて論及する。 |
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書誌情報 |
ja : 福岡教育大学紀要. 第一分冊, 文科編 en : Bulletin of University of Teacher Education Fukuoka. Part Ⅰ. Language and Literature 号 74, p. 27-37, 発行日 2025-03-10 |
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ISSN | ||||||
収録物識別子タイプ | PISSN | |||||
収録物識別子 | 0286-3219 | |||||
出版タイプ | ||||||
出版タイプ | VoR | |||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||
出版者 | ||||||
出版者 | 福岡教育大学 |